東海道五十三次、旅に梅干と 
         夜道を照らす小田原提灯は欠かせなかった
梅干の起源は古い。遣隋使、小野妹子が中国より持ち帰った漢方薬鳥海(うばい)が日本最初の梅干と聞く。
小田原梅干の祖といえば、城主北條早雲。
梅干の薬効と腐敗を防ぐ作用に目をつけ戦の食用に格好と、さっそく梅干づくりを奨励したというアイデア殿様。
江戸時代には小田原宿の土産ものとして旅人に重宝され、小田原梅干はいよいよ意気盛ん。温暖な気候、豊富な梅、そして梅干づくりに欠かせない塩も海の恩恵がもたらし、小田原は日本有数の梅干産地に育っていったのだ。梅干の里、曽我の極上品十郎梅は、皮は絹肌の如くきめ細かく、塩かげんはうすく、口中にてとろけるような、と賞される天下一品。
名物は風土が育てると言われるが、小田原梅干はまさにこのゆたかな土地柄が生んだ傑作なのである。

桜の花びらを塩漬けにした桜花漬。
お湯に浮かべて桜茶、炊きたてのご飯とまぜれば桜ご飯に。

厳選した小梅を干し上げた高級「小梅干」。曽我の梅干と並ぶ小田原の特産品です

小田原生まれのヒット梅干3種。
幕末の城主大窪忠世考案「しそ巻梅干」、相州特産のしそで着け込んだ「しそ漬梅干」、低塩梅干のブームをつくった「かつお梅」。

旨い塩辛といえば小田原産、
               糀に五百年を生きる秘伝の味がある
相州小田原宿より松並木の東海道を少し上がった、国府津から大機仁かけての海岸一体に見事な塩田風景があった。
海からは新鮮ないかが大漁に上がり、豊富な塩もある。水のいい小田原にはかつて酒蔵も多く、つくり酒屋へ下ろす糀がふんだんに手に入った。
こうして江戸後期に登場する名物《いかの糀入り塩辛》が、東海道小田原土産として街道を賑わすようになった。
もちろん今も健在。いかと糀の按配が実によく、往時弥次さん喜多さんの絶好の酒の肴になったのは言うまでもない。
手づくりの味わいを今に伝えるために、研究に研究を重ねた各社自慢の秘伝の塩辛づくりがある。

生まれは相州の小田原、江戸弘化3年初お目見え「金山寺味噌」。

おにぎりに巻いたり、野菜を巻いたり、何かと万能「しその葉漬け」。


「ほととぎす巻」。
名前の由来は、食べたあとに「ヒィー」となるところが、“ほととぎす”の鳴き声に似ていることから名付けられたとか。
約100年前、椎 野食品工業所の三代目・椎野安次郎氏が考案。
落花生の粉に、辛子粉、砂糖、水飴、胡麻を混ぜたものを、しその葉で一個一個手巻きして製造されています 。

小田原地場産業振興協議会作成「小田原名物図鑑」より
小田原市橘商工会 〒256-0813  神奈川県小田原市前川655 TEL:0465-43-0113 FAX:0465-43-3613